ワキガ体質であるか否かは耳アカの状態で判定できます。中程度以上のワキガ体質の人はほぽ間違いなく「耳アカが軟らかく、湿っている」という特徴があるからです。

これは外耳道が通常のエクリン腺の存在しない数少ない部位であることを考えれば、外耳道が湿っているということは、もうひとつの汗腺であるアポクリン腺からの汗が原因であると推定できるからです。もともと耳アカの原料を分泌する耳道腺(耳垢腺)も形態的にはアポクリン腺の類似汗腺なのです。耳の中にアポクリン腺の類似汗腺が存在するということは、アポクリン腺の最も一般的な存在部位であるワキの下にも多数存在すること、つまりワキガ体質であることを示唆しているのです。

しかし私は、単に耳アカが湿っているかどうかだけではなく、外耳道の毛の程度も問題にしています。外耳道は鼻腔と同様に、他の様々な原因で湿潤することもあるからです。

前に述べたように、アポクリン腺は、必ず毛穴に開口して存在しているものであり、その湿った軟らかい耳アカが、本当にアポクリン腺によるものか否かは、その部分の毛の程度によってより正確に判定できるというわけです。 

民族ごとのワキガ体質の比率は、いろいろな説がありますが、一般的には、黒人100%、欧米人70~90%、日本人10~15%、中国人3~5%くらいといわれています。

ワキガやアポクリン腺についての民族的差異の研究は、学問的には興味のあるところですが、私の推測では、黒人は体表面の色が黒いことによって、視覚的なものより、性的信号としての体臭が、長らく重要な位置にとどまったものと思われます。しかし、欧米人にもワキガ体質が多いことも考え合わせると、最も大きな要因は、食生活にあるようです。

肉類などの高カロリー、高脂肪食は、野菜や穀物食に比べ、皮脂腺やアポクリン腺を刺激し、その活動を活発にさせるといわれています。肉食を中心とする欧米人のアポクリン腺は、日本人などより活発に働いていて、より多くの腺組織が残存したものと思われます。 

アポクリン腺が体毛と一体となって存在することには、それなりの意味があります。

それは、ニオイが性的信号として働いていた時には、毛の房が重要なニオイのトラップ、すなわち、ニオイをためておき発散させるのに大いに役立っていた、ということです。性的興奮時には、エクリン腺からの精神性発汗が加わることによって、アポクリン腺は薄められ、毛を伝わって、ニオイを
より遠くまで拡散していたのです。

この点からいえば、ワキガの治療の第一歩は、ニオイの発散装置でもあるワキ毛を削り除くことからはじまる、といえます。

アポクリン汗の役目を考える前に、アポクリン腺に関する素朴な疑問をあげてみましょう。

  1. ワキの下に多いのはなぜか。
  2. 他の場所(外耳道、乳首の周囲、陰部など)にも存在するのはなぜか。
  3. 体全体に散在せず、まとまって局在するのはなぜか。
  4. 有毛部にあるのはなぜか。

これらの疑問を解く糸目は、霊長類としての人間の進化の過程にあるように思えます。人間がサルであった頃には、四つ足で歩行し、全身が毛でおおわれていました。また、求愛期間も生殖可能なある一時期に限られていました。したがって、子孫を残していくためには、性周期の短い期間に、メスがオスを魅きつけるための性的な信号を送る必要があったのです。それがアポクリン腺から発するニオイでした。そのニオイは、主に生殖器周囲のアポクリン腺からのものでしたが、当時は全身にあったアポクリン線からも出ていたに違いありません。 

ワキガの人の多くは、汗で下着を汚してしまうことがありますっとりわけワキの下の部分に汚れが目立ちます。これは、ワキガの主な原因が、ワキの下の汗にあるからです。

それではなぜ、体の他の部分の汗では下着に色がつかないのに、ワキガの人のワキの下の汗は色がつきやすいのでしょう。

それを知るためには、汗そのものについて理解しておかなければなりません。

すでに述べたように、人間の汗にはアポクリン腺の汗とエクリン腺の汗の2種類があります。アポクリン腺は、肉眼でも十分に確認できるくらいに大きいので、別名大汗腺ともいい、体毛の出口に開口しています。一方、エクリン腺は、肉眼で確認できないくらい小さいので小汗腺といわれ、皮膚の浅いところにあり、毛穴とは関係なく直接皮膚表面に開「Iしています。

今まで知られている成分としては、アポクリン腺の汗には、各種のタンパク質、脂質、糖質、ピルビン酸、鉄分、色素リポフスチン、各種ステロイド、アンモニアなど様々な物質が含まれています。エクリン汗が、微量の塩分の他は、ほとんどが水なのとは対照的です。

この成分の差が、ワキの下の汗(アポクリン汗)では下着に色がつき、他の部分、たとえば背中の汗(エクリン汗)では色がつかない原因となっているのです。 

人間の体は、頭のてっぺんからつま先まで、ありとあらゆる場所からニオイを発しています。それは、生理的なニオイから病的なニオイまで、体の一部に出るニオイから全体から発するニオイまで、実に様々です。これらを総称して「体臭」と呼んでいます。一般には、その発生原因をはっきりと知ることができます。たとえば、歯槽膿漏の人の口臭、ギョウザを食べた後の口臭、風呂に長く入らなかったときの汗臭さ、といった具合です。

体臭の中には、限られた人にだけ発生する特殊なニオイがあります。その発生場所が主にワキの下なので、そのニオイのことを「ワキガ」と呼びます。医学的には「臭汗症」もしくは「腋臭症」と呼んでいます。

この名前からも、その発生場所は主にワキの下であり、その要因は主に汗であることがわかります。

ではなぜ、あのような特殊なニオイになるのでしょうか? 詳しい原因は後述するとして、ここではワキガとは「人間の様々な体臭のひとつで、特定の人が、主にワキの下から発する生物臭」としておきます。

体臭=ワキガ、多汗=ワキガ、とワキガを単純に考えて私のクリニックを訪ねてくる人も多くいます。もちろん、ワキガの人もいますが、生理的な汗かきであったり、糖尿病が原因であったりすることも珍しくありません。 

私の経験上、多汗恐怖、特に手掌多汗症の患者さんのほとんどは軽症の心身症程度のもので、今まで述べてきた治療法で十分対応できるものです。

しかし、自己臭症の患者さんの中には、時に、重症の神経症や統合失調症(精神分裂病)に近い患者さんも含まれています。

このような重症の患者さんの自己臭恐怖は、むしろ「自己臭妄想」と呼ぶべきでしょう。

自己臭妄想の患者さんは、しばしば次のような訴えをします。

「自分の体臭が他人ににおっているのは事実だ。その証拠に、他人が『臭い』とか「出ていってくれ」とかいったり、自分が入っていくとみなが窓を開けたり、席を立ったりする」 

系統的脱感作法という治療法は、私の治療経験では、特に、手掌多汗症に顕著な効果が認められます。

この治療法は、ある刺激場面(ここでは手に汗をかいたような場面)で緊張反応を示すとき、この緊張反応とは相容れないような、逆にリラックスするような反応(具体的には、後述する自律訓練法という練習で得られた弛緩反応)が生起されると、患者さんの緊張反応は制止されるというものです。

簡単にいえば、訓練によって意図的に自分の自律神経をコントロールできる方法を身につけさせるというものです。

自律訓練法は、元来、自己催眠法から発展したもので、現在では様々な方法が開発されています。一般的には、病院でおおよその練習法を体得し、あとは自宅で朝夜の1日2回ほど行うことが多いようです。

自律訓練法は、患者に体得の意志さえあれば誰でも技術を習得でき、治療への応用としてのみならず、日常生活でのストレス解消、心身の健康増進といった意味で、積極的に取り入れて良い方法だと思います。

さて、こうして自律訓練法によって弛緩反応が十分得られたなら、いよいよ系統的脱感作法に移るわけですが、その前に「不安階層表」といったものを作成します。これは、患者が過去に緊張反応(手に汗をかく状態)を示した刺激場面を、面接や心理テストなどで調べ、その刺激度を小さい方から順に大きい方へと並べます。

人間の単純な心理的原埋を応用するロゴセラピーは、外来での自己臭症の治療としては、簡単かつ有効なものです。

人間の単純な心理的原理とは、いわば「逆転の発想」とでもいえるでしょう。「逃げれば追いかけられる、追いかければ逃げる」、すなわち「逃避する態度はかえって怖れるものを出現させる」という原理を逆に応用するのです。

実際に、夜眠ろうとするとますます眠れなくなり、それなら朝まで起きていようと開き直った瞬間に眠ってしまった、という経験をみなさんもしたことがあるでしょう。その原理の応用です。私は、これを“開き直り療法¨と呼んでいますが、恐怖するものに、意識的に開き直って逆に志向すること
によって、逆説的に恐怖する症状を軽減させようとするものです。

ここで、多汗恐怖の患者さんにロゴセラピーの生みの親、ヴィクトール・フランクルが使った言葉を紹介しましょう。

「昨日はまだ1リットルしか汗をかいていない。それでは今日はひとつ10リットルばかり発汗してやろう」 

正統な精神分析療法とは、週に何回かの面接の際、自由連想法というやり方で、患者さんの想起する話の内容やその時の態度や振る舞い、さらには、治療者に対する感情などを手がかりとして、患者さんの心の奥に潜む無意識を探っていき、それまで気がつかなかった心の奥底の衝勁や願望を意識化させ、それにより閉じこめられていた無意識の檻から脱して、病気から解放させる、というものです。

しかし、外来における、自己臭症、多汗恐怖への正統な精神分析療法の応用は、多大な時間を必要とすることと、患者側の治療意欲と協力が必要なことなどで、実際には困難なことが多いのです。